「地球には、ランクルしか走れない道がある。」
オーストラリアでナンバーワンにポピュラーなSUV車、ランドクルーザー。
オーストラリアでのランクルは日本のそれとは少し違う。日本で車の性能を身をもって感じることができることは少ない。しかし、オーストラリアではたった数時間内陸に進むだけで過酷な環境が待っている。世界でも抜群に過酷なオーストラリアの道アウトバックス。猛烈な太陽に青空と砂ぼこり。グーグルマップで「1028キロ先、右」と音声が流れ耳を疑う。ガソリンスタンドは600キロ先。ランクルのサブタンクを確認する。砂漠の中にポツンと大きめのドラム缶が2つ置いてあり、ディーゼルとガソリンである。価格は相場の2倍近くである。ここで入れなければ死ぬのだから皆入れる。炸裂したタイヤが500メートル間隔から100メートル間隔になり最後は見渡す限りバーストしたタイヤとカンガルーの死体だらけとになる。レッカー車など呼べるわけもなく故障した車は道端で車は長期間放置され、部品は地元のアボリジニにより根こそぎ持っていかれ、車の残骸だけが永遠と同じ風景を描き続ける。
すれ違う車は1日10台前後。横転、ガス欠、この二つが一番怖い。車が前に進まなくなるからだ。ここでは誰も日本で感じるデザインのそれや低燃費、レザーシートなんて考えない。ただこの車が目的地まで走り切ってくれること。アウトバックを走って初めて車に祈る。
この過酷な道はランクルでなければ完走できなかった。
オーストラリアでは、ランクルは高い走破性とポピュラーさを兼ね備えそれゆえ相場も安定している。2万ドルで購入したランクルを何年か乗って2万ドルで売れることは珍しいことでも何でもない。ランクルはそれほどこの国で需要があるのだ。これは過酷な環境と比例して需要が高まっている。日本の中古ランクル輸出業者がウガンダに輸出して大きなビジネスとなっているが、現地では20年落ち走行50万キロのランクルが300万円などという価格で取引されている。ランクルは100万キロでも走る。それが世界のスタンダードである。しかし日本人の感覚でいえば車は10万キロも走っていれば廃車や買い替えを考える。オーストラリアで車を購入するのであれば走行距離で選ぶのはナンセンスである。日本のような信号だらけでストップアンドゴーが多い国と、友人の家がある隣町まで400キロが普通の国を同じにはできない。
始まりは第二次世界大戦後の昭和25年(1950年)。
アメリカ軍と自衛隊の前身となる警察予備軍が国産のオフロード車の製造を求めた事によってできた「トヨタジープBJ」これがのちのランクルである。
この時のアメリカ軍と警察予備隊の要請に応えて参入を狙ったのが三菱ジープとトヨタジープ、日産パトロール、この時は最終的に三菱ジープとなったが、その後トヨタはトヨタジープで富士山に登る快挙を達成。この結果を受けて警視庁のパトロールカーとして採用されることなった。
その後「ジープ」という名前が商標権に抵触することを受け、1954年に「ランドクルーザー」へ改名。現在までの60年以上続く歴史がスタート。
トヨタジープBJからランドクルーザーへ改名し、一般への供給も視野に入れたモデルチェンジを行いランクル20がデビュー。この時点で戦車感は緩和され。デザインは1960年から24年間も続いたランドクルーザー40系につながる。
トヨタジープBJから現行型に至るまで、ランドクルーザーは全モデルでラダーフレーム構造(はしご状のフレーム構造)を採用してきた。この構造にこだわり続けているのは、ラダーフレーム構造が持つ強靭さからである。オーストラリアでもランドクルーザーでいけない道は他の何の車でも無理だというのが常識である。岩場や砂漠などの悪路を走る状況や通常では考えられない荷重でも耐えうるそのタフさがランドクルーザーが世界各国から信頼を置かれる理由であろう。韓国、北朝鮮以外のすべての国でランクルは走っている。世界の最後に残る車がランクルである。